年次大会

プレ・カンファレンス講義についてのお知らせ

昨年度に引き続きまして、年次大会前日に「知の継承プロジェクト」と題して、「プレ・カンファレンス講義」を本年度も開催致します。特に今年度は京都での開催ですので、ご参加希望の方々は早めにお申し込みのうえ、(遠方からお越しの方々は)ホテルの確保をお願い致します。

この「知の継承プロジェクト」は、若い会員の皆様に、体系的な通訳研究・翻訳研究の全体像を学ぶ機会を提供し、かつ、研究経験の豊富な会員の皆様にも積極的に参加頂き、議論を盛り上げて頂きつつ、これまで日本で培ってきた通訳研究・翻訳研究の知の体系を若手研究者に継承して頂く、という趣旨です。大学院生の皆様だけでなく、一般の会員の皆様も奮ってご参加ください。
今年度のラインナップは以下のとおりです。
*場所は、「同志社大学」です。年次大会と同じ大学です。
日時:2016年9月9日(金)午後
場所:同志社大学室町キャンパス・寒梅館大会議室(6階)
講師:
 1)北代美和子会員(文芸翻訳家、東京外国語大学講師)
 2)三ツ木道夫会員(同志社大学教授)
 3)竹田純郎先生(金城学院大学名誉教授)
時間:講義とQ&A
 1)12:30~14:00
 2)14:20~15:50
 3)16:10~18:00
内容:
 1)北代美和子会員(文芸翻訳家、東京外国語大学講師)
 「翻訳はほめられるか?―翻訳批評の限界と文芸翻訳における翻訳者の倫理」
 【要旨】
  文芸翻訳実務者の視点からTranslation Studiesと翻訳批評の関係について考察する。翻訳研究の枠内で翻訳を肯定的に批評することは可能なのかを、実際の翻訳作業をまじえながら、テキストに即して検討し、さらに文芸翻訳における翻訳者の倫理の問題に焦点をあてて、翻訳を利用した文芸批評の潜在的可能性を論じる。
 2)三ツ木道夫会員(同志社大学教授)
 「1920年代ドイツの翻訳論―なぜ翻訳は可能なのか―」
 【要旨】
  翻訳思想の変転を歴史的に眺めた場合、結局のところ、唯一絶対の翻訳方法など存在せず、翻訳者はみなそれぞれが置かれた歴史的な環境の中で何らかの方法を選び取ったのだろうという考えに辿り着きます。かつて原理的に翻訳は不可能だと推論しながらも、翻訳活動そのものは称揚し、そこに文化的な意味を求めた思想家もいました。これはいわば翻訳の可能性を真剣に考察した挙句に横道に逸れていった人たちですが、それとは違って翻訳の可能性を徹底して掘り下げた思想家・翻訳者が1920年代ドイツに現れます。今回はW.ベンヤミンをはじめとする3人のユダヤ系思想家を紹介します。
 3)竹田純郎先生(金城学院大学名誉教授、PH・D(独・テュービンゲン))
 「翻訳という技法」
 【要旨】
  翻訳とは、ギリシア的にいえば、ものを作る技法である。例えば、日本人の聖書学者が体得した技を駆使して、「ヨハネ福音書」を解釈し、その邦訳を作るという。
 だがその学者でさえ、翻訳の困難から逃れられない、否そもそも翻訳には理解と誤解を伴うことを弁えざるをえない。だとすれば、翻訳は常に繰り返されるべき実験的試みであり、翻訳の技法はその試みの方途であると言える。なぜそうなのか、を考えてみる。
※ 今回は招聘講師として竹田純郎先生をお招きします。文学修士(東北大学)ドイツ・チュービンゲン大学哲学博士。金沢大学や立教大学文学部で助教授を務められ、金城学院大学教授就任。2014年定年退任、名誉教授。ドイツ哲学書の翻訳書も多く手がけられているドイツ解釈哲学の泰斗で、シュライアーマッハー、ディルタイ、ハイデガーなどの話もかなり突っ込んでして頂けるかと思いますし、クリスチャンとして聖書翻訳についてもいろいろとお話頂けるかと思います。
参加費:会員は一般・学生とも無料/非会員一般1,000円、非会員学生500円
会場の席数に限りがあります。ご参加希望の方は、以下のメールアドレスまでご連絡ください(先着順)。
kawahara[a]kinjo-u.ac.jp
メールのタイトルと本文は、以下のようにお願いいたします。
メールタイトル:プレ・カンファレンス講義申込:〇〇〇〇(←お名前を記入)
メール本文:
 (1)氏名
 (2)所属
 (3)会員/非会員、一般/学生の別
 (4)連絡先メールアドレス
 (5)参加希望レクチャー(1つでも2つでも3つでも可能)
     ①北代先生 ②三ツ木先生 ③竹田先生
では、ご参加をお待ちしています。
JAITS新企画担当理事 河原清志